《1》
目隠しをして、両手を拘束されたまま急かされるようにして閉ざされた部屋から出ると、そこは太陽の陽射しの匂いと、暖かな陽射しで満たされており、彼は大きく溜息を吐くと、ゆっくり久しぶりに外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
ざわつく野次に混じって、懐かしい声が響いていた。
「泣いたら…ダメだよ」
その声は、大勢の人間によって近づいてくることを阻まれているらしく、涙交じりの絶叫にも似たもので、彼はその声の主に聞こえるわけでもないのにぽつりとそう呟く。
「では、よろしいか」
耳元で囁かれた言葉に彼はこくりと無言のまま頷き、その場に膝を突いた。
仕方がなかった。
先帝が身罷られた時に、自分は国にいなかったのだ。
それは、どうしようもなかったことで。
自分がすべき出来る限りの事は、やったつもりだった。
しかし、間に合わなかった。
それは、どうしようもない事実で。
皇帝になり得た皇子以外全て廃皇子として処分され、皇女は後宮に抱えられる。
それが、この国の昏い歴史。
余計な不安因子を取り除くために、先帝の血は皇帝になり得た皇子の血だけ残す。
それが脈々と、この国を今まで栄えさせてきた闇の取り決めだった。
そして、それはこれからも延々と続いて行くのだ。
「エドワード… ごめん…。 約束…護れそうにないよ…」
隣国の頼もしい友人の金色の鮮やかな髪を思い出し、目隠しされた顔を上げ空を仰ぐ。
皇帝になり隣国アメストリスとの国交を復帰させ、腐りきったこの国を根底から治してゆく…という約束を、その金色の髪の友人に誓ったあの日。
金色の髪の友人のガールフレンドから、大切な人の奥さんから手習いで教えて貰ったというアップルパイを焼いてもらい、みんなで夜通し話しながら明るい未来を夢見ていた。
それは、まだ記憶に新しいはずの出来事だったのに。
あの約束が、遠い過去の様に思えるのは何故だろう。
一時期は人であることを止めていたこともあったが、それすらも懐かしい出来事になってしまっていた。
彼は楽しかったアメストリスでの出来事を思い出し、口元に笑みを浮かべる。
その表情には、一点の曇りも悔恨もなく。
既に、異国にいた彼を除いた大勢の兄弟達の血潮を吸った大地は、憎悪と怨嗟で真っ赤に染まっている。
所詮今更、彼の血が加わろうと、この国の気が遠くなるような長い歴史に変化が訪れるわけもない。
ただ、いつもの様に歴史が繰り返されただけで。
ギラリと幅広の刃が宙を薙ぐ。
そして怒号の中に、たったひとつだけ悲鳴が響き渡った。
《2》
身体から賢者の石を取り出す施術を行われると同時に、彼の体力は半分以下に落ち、更には血も随分と失われ、折角人間に戻れたというのにも関わらず、彼は一日の半分以上を病院のベッドの上で過ごすという状態に陥っていた。
「…仕方ないネ、こればっかりは自分の責任だシ」
琥珀色の健康的だった彼の肌は見る影もなく、青白いを通り越して土色に変色してしまっている肌の色を、恥ずかしそうにリネンの下に隠し、彼は薄く笑う。
その笑みも、何処となく昏く、自分の身体の具合がどれだけ良くないか判っているようでもあった。
実際、全身に行き渡った賢者の石は既に寄生していたというより、血肉そのものに変化していて、それを改めて取り除くという行為は「死」を選択するに等しい行為だったのだ。
だがその代償として、人造人間である強欲としての知識は残り、こんな身体になってしまった状態でもどうにかして普通の生活を行える程度の施術の仕方だけは、その知識の中から引き出すことが出来たのだ。
「無理すんなよ…生きてるのが奇跡に近いんだから」
エドワードは、自嘲気味の薄い笑みを浮かべる彼に向かって心配そうにそう言う。
「エドワードと、マスタングさンのお陰で、最高の医療設備の整った病院に入院出来テ、本当にありがたいヨ… でなけれバ、俺は本当に死んでいタ…」
ふう…と、一息吐くと目を開けているのも億劫だったのか、ゆるゆると瞼を閉じ、リネンの上に伸ばされた手が力なく僅かに動く。
動かそうと思えば動かせたが、指ひとつ動かすのですら今の彼には非常に困難極まるらしく動いたとは言え、それは微々たるものでしかなかったのだ。
そして彼のカラカラに乾いて罅割れた口唇から漏れた溜息を見て、エドの表情は曇った。
医師が言うには、彼がこうして生きているのも奇跡な状態らしく、気力と強欲から得た知識だけでなんとか生きているのだとそう聞かされていたからだ。
「エドワードが気にするようなことじゃなイ… これは自業自得なんダ。己の力不足による竹箆返しだと思えバ、辛くはなイ。それに…こうシて生きていられるだけでも…御の字なんダ。一度は死を覚悟シたんだからナ」
瞼を閉じたまま、エドワードの気の変化を感じたのか、彼はポツリと呟く。
「…」
彼が本心からそう言っているとは思えなかったが、エドワードは彼の自分に対しての気遣いに感謝しつつ頷く。
「でモ… これじゃあ当分…国には帰れそうにない…ナ…」
再びゆっくりと開いた目は、何処か遠くを見詰めており、己の不甲斐無さに罅割れた口唇をキュッと噛み締めていた。
仕方がないと言葉にはしてみたものの、それは飽くまでも言葉の上でしかなく、本心は悔やんでも悔やみきれないものだったのだろう。
「アメストリスの医療は、シンとは違うシステムだけど最高なんだ。きっと…直ぐに良くなって歩けるようになるさ。だから、今はゆっくり休めよ…な?」
エドワードは天井を睨みつけるようにして、遠い自国を思い馳せている彼に対してそう言うと、そっと手を握り締めた。
しかし。
それから程なく、シン国からマリア・ロスが早馬で皇帝の崩御を知らせるために帰国したのだった。
閨でごそりと動く影。その影はまだ、成人していない少年のもので。
その様子は酷く気怠そうに緩慢な動きで、少年がとても疲れている事が見て取れた。
俯き閨の布をきゅっと握りしめると、その手の甲に雫がひとつ零れる。
確かに、自分は皇帝の子ではあったが、このような事をするために生まれて来たのではないと。
思わず唇を噛み締め、その噛み締めた唇から一筋の血が伝い落ちる。
袍に袖を通し、前を掻き合わせて立ち上がると、自分の中に先ほどまで入っていたものの名残が内股を伝い悪寒を感じた。
真逆、取引をしている国家のお偉いさんが好事家で、相手をさせられるとは思ってもおらず、己の存在意味を改めて考えさせられてしまった瞬間だった。
稚児趣味を持つ国家元首が、自分を取引の交渉に使ってくるなどと、誰が考えようか。
「…でモ…」
蹌踉めいて房の扉を開き、庭園に咲き誇る蓮の華が月の明かりを受け白光に輝く様を見て、これが護れるのなら
漆黒に輝く天空に輝く、蒼冷めた美しい月の明かりが、この国をいつまでも照らし続けてくれるのなら。
皇帝の子としてすべき事はただひとつ。
護る為の闘いをすべきなのだと、胸に下がる翡翠の勾玉に誓う。
「男の俺でモ、身体が武器になルなラ…使ってやろうじゃなイか…。俺は、生きていかないといけなイんだかラな」
そう言って勾玉を握りしめ、ブチリと引き千切る。
そして前髪に隠れ、温厚そうに薄く閉じられた眼がすうっと開けられ、カミソリの様な輝きを放つ眼光で月を睨む。
「蛮国の奴等になど…屈シて……堪るカ…」
ニィと口元に笑みを浮かべ、のろのろと房から去ってゆく。
一族を護る為、国家を護る為、自分以外の総てのものと闘う決意を胸に、その日から敢えて翡翠の勾玉を首から下げなくなった。
ファルマンは実はマヨネーズが大好きです。
どれくらい大好きかって言うと。
宿舎の自室にある簡易冷蔵庫内にマイ・マヨネーズのストックが、いつでも5本は常備してあるくらいだったりします。
でもそれは本人だけの秘密だったりします。
別に格好つけているワケではないんですが、以前フュリー曹長に『幾らマヨネーズが好きだからって、街のスーパーマーケットでマヨネーズを見つけていきなり頬摺りしないで下さい』と言われてから、ちょっとだけ気を付けるようになったのです。
でもファルマンは、それが別に悪いことだとは思っていません。
反対に、なんで久しぶりに街角で見つけた大好きなマヨネーズに駆け寄って頬摺りしてはいけないのか、判らなかったぐらいです。
何しろ軍の食堂では、大好きな銘柄のマヨネーズが使えなかったのですから。
食堂の給仕員が選んでいるのかどうかは判らないけれど、ラウンジに置かれているマヨネーズは何だか美味しくなくて、幾らマヨネーズ好きのファルマンですら、首を傾げてしまうくらいの品質の良くないマヨネーズだったのです。
ですからファルマンは、補給調達員に袖の下を渡し、指定されているマヨネーズではないものを注文し、こうして自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあるのです。
他の事に対しては差ほどこだわりはありませんでしたが、マヨネーズだけは譲れません。
お刺身にマヨネーズ。
コロッケにマヨネーズ。
蒸かし立てのじゃがいもにもマヨネーズ。
ビーフカツレツやポークカツレツにもマヨネーズ。
カレーにもマヨネーズ。
野菜炒めにも当然マヨネーズ。
マヨネーズさえあれば、ファルマンは幸せです。
最近シン国の皇子さまと言われる少年が買ってきてくれた、わさびマヨネーズや明太子マヨネーズ、更にはゴママヨネーズ等はなかなか入手出来ないので、暫く冷蔵庫の中に仕舞って置いて、眺めていようとさえ思っているくらいです。
こんなにもファルマンはマヨネーズを愛しているのに、そんな彼に対して文句ばかり言う人がいました。
それは上官でもある、マスタング大佐です。
どうやらフマスタング大佐は、食べたら食べた分だけ身になってしまう体質らしく、ファルマンが自室から大事そうにマヨネーズのボトルを持ってラウンジへ行くと、途端に嫌な顔になるのです。
『そんなに高カロリーのものばかり摂っていると、成人病の予備軍になってしまうぞ』
と、嫌みたっぷりにマスタング大佐はファルマンに対して向かって意地の悪い事を言います。
でも、そんなマスタング大佐の方がファルマンにとっては心配だったりします。
何しろ、時折現れるエドワード・エルリックや、一緒に何故か現れるシン国からやってきた皇子、そしてホークアイ中尉と同じ様に甘いお菓子をパクパク食べているんですから。
食べたら食べた分だけ身になってしまう体質なら、気を付ければいいのに。
それを考えれば、まだマヨネーズを愛しているだけの自分の方がずっとマシだファルマンは考えていました。
さあ。
今日は金曜日。
カレーの日です。
アメストリス軍では、金曜日がカレーの日と決まっています。
カレーと言ったら、金曜日の度に繰り広げられるハボック少尉とブレダ少尉のカレー戦争が楽しみのひとつです。ふたりともどうやらカレーに対して一過言あるようで、端から見ているととても楽しくて仕方がありません。
ファルマンは、いつものようにラウンジでの余興を見ながら、マイ・マヨネーズ片手にカレーを食べようと思いました。
「俺たち…いつの間にこんなふうになってたんだろうな…」
隣で静かに寝息を立てている、少しだけ憔悴した面立ちのリンを眺め、エドワードはポツリと呟く。
どう考えても、自分達がこういう関係になるなど、考えられなかったからだ。
エドワードは小さく溜息を吐き、考え込む。
まず、初めての出逢いが最悪だった。
行き倒れていたリンを拾って来たのはアルフォンスではあったが、その後食事の面倒やらなにやら総てはエドワードが面倒をみる羽目になり、気が付いたらリンは、いままでずっとそこにいたとでも云うように彼等の側にすっぽりと収まっていたのだ。
もともと、そう言う誰にでも上手く寄りつく素質があったのかもしれないが、それにしても図々しく居座り続けたリンは。
気が付けば、絶対に失いたくないひとりになっていた。
いつからだろう。
気が付けば、エドワードは目の端でリンを追うようになっていた。
見詰めるだけで胸が高鳴り、そして締め付けられる様な感覚を覚えて。
その自分の感情に押し流され、ついにエドワードは耐えきれなくなり。
そして手に入れた。
天を目指しながらも柵から抜け出せず自由を求めていたリンを、エドワードは更に縛り付けたのだ。
汗で額に張り付く長い黒髪を、そっと手で梳り、エドワードはリンを静かに見詰める。
理不尽で一方的な想いを押しつけたのにも関わらずリンはにっこり笑って、エドワードのその想いを受け入れた。
許容が広いと云うか、何も考えていないと云うか、バカと云うか。
「一国の王になろうとしているヤツが、それでいいのかよ…」
ぽつりとエドワードがそう呟くと、
「ンーー… どうシた…? エドワード…」
と、さっきまで静かに寝息を立て寝ているかと思われたリンが薄っすらと眼を開けてエドワードの方を見上げる。エドワードからの視線と、更には髪を触れられたせいで眼を覚ましたかもしれない。
「…な…っ なんでもない」
エドワードはリンの視線を受け、バツが悪そうに視線を反らした。
「……ふーーン…そウ…」
少しだけ眉根を顰めると、横になっていたリンはそう言って上半身を起こし、視線をそらしたエドワードの背にコツンと自らの額をそっと寄せ、くすくすと声を殺して笑んだ。
「…なっ! なに笑ってんだよっ!」
背中越しに笑ってくるリンに、エドワードは何故自分が笑われているか判らず戸惑いながらも抗議すると、リンは寄せていた額を離し、
「べーーつニ… 可愛いなあって思っテ…」
笑ったままそう呟いた。
「……なっ! おっ! おまえの方こそ…普段ニヤニヤ笑ってすました顔しやがってる癖に……さっき俺の下で、どんな顔してたか知ってるのかよっ!」
エドワードは振り返ると、リンに向かって焦った様に怒鳴る。
売り言葉に買い言葉。エドワードのそんな言葉に対してリンは眼を細めると少しだけ俯き、肩を震わせて
「そンな事云うんダ…。俺、苦しいの我慢シたのニ…」
そう切り返してきた。
「……あっ ごめ…っ リンっ 俺…そんなつもりじゃ…」
一方エドワードはと云うと、リンのその豹変した態度にオロオロしてしまい、どうしていいか判らなくなってしまう。
実際、こんな関係になるつもりなどなかったのだから、エドワードの口から出た言葉は本音だった。
そんなエドワードの様子に、俯いて肩を震わせていたはずのリンから、押し殺した笑い声が漏れているのに、暫くしてエドワードは気づき、
「…ひっでえ… 嘘泣きかよ…」
と、一瞬リンに向かって抗議してやろうかと思ったが、反対にまた言い負かされるような気がしてしまい、ぷいとリンに背を向けてそのまま寝てしまおうかと横になろうとした瞬間。
再びリンがエドの背に額を押しつけて来て
「………」
何かを呟いた。
「……っ!?」
そのリンの言葉に慌てて振り返ったが、リンは『おやすミ』と何事もなかったかの様にそう言って、再びリネンに潜り込み寝息を立て始めてしまった。