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黒の智天使 蒼の堕天使 ♯1(イングラム×イルム)

ムーヴィングウォークのスピードでは遅いのか、長い髪を颯爽と靡かせながら、勢いよく歩いてゆく1人の青年がいた。片手には分厚いファイルを、もう片方の手は少々苛ついているのか、折角綺麗にセットして立てた前髪をわしわしと掻いている。
そんな余りに珍しい彼の姿に、ムーヴィングウォークを行き交う人々は振り返りながら小声で何かを話し合っていた。しかしそれすらも耳に入っていないらしく、彼は目的地である研究室の前までやって来ると大きく深呼吸をひとつした後、ドア脇にあるスリットへIDカードを通し、それから幾つかの数字を組み合わせたパーソナルIDナンバーを打ち込んでゆく。
「・・・。」
その姿は、普段の彼からは信じられないようなぴりぴりとした空気が漂っていた。そしてドアが開くと同時に、足早に中へと入っていった。
「親父はいるかっ!」
ここは一般研究員の立ち入りが制限されている区画なのだが、彼はその研究室の室長の息子であり、更にはその研究室で行われている研究の渦中にいる為に、出入りはほぼ自由だった。
「・・・ああイルム、漸く来たか。遅かったな、待っていたぞ。」
彼・・・イルムと呼ばれた青年の苛立ちに、全くと言って良いほど気が付いていないらしい男性は、この研究室の管理責任を任されている室長でありイルムの父親でもあった。
「今日はヒュッケバインの起動テストだって事ぐらい知ってるだろーがっ!なのに突然呼び出しやがって、何考えてんだよ、まったく。」
イルムはそう話し掛けてくる父親に対して、大きく溜息を吐く。
ヒュッケバインの起動テストとは言っても、今日行うのは飽くまでもリンクシステムと、駆動系統の管理の為の初期設定であり、本当の意味での起動テストではない。本来の起動テストは半月後であり、既にテストパイロットも決まっている。
しかし反対に父親の方は、そんなイルムの言葉を前もって予想していたらしく、
「判っている。判っているからこうしてお前を呼びつけたのだが・・・詳しい事はまず後だ。イルム、時間が押している、服を脱げ。」
と、唐突にそう言うのだった。
「なっ・・・!?」
今日は朝から任務の為にパイロットスーツを着込んでいたイルムにとって、父親の科白は寝耳に水の状態だった。
「上層部の決定で、ヒュッケバインの起動テストをするお前の身体に電極を埋め込む事になった。拒否は出来んぞ。」
その突然の父親の言葉に、イルムは一瞬だけ怯む。が、直ぐに、
「・・・ちょっと待てよ、じゃあリンちゃんやイングラムにもその処置を施すのかよっ!聞いてねーぞ。」
と、詰め寄った。
今日の起動テストには、自分の他に予備としてリン・マオとイングラム・プリスケンのふたりがいたのだ。リンは自分が具合が悪かった時の予備として選出され、イングラムは自分が開発した機体の管理だけでなく、パイロットの予備として自分から予備員として登録をしていた。
だが父親はそんなイルムの心情を知ってか知らずか、さらりとした態度で、
「その処置を施すのはお前だけだ、安心するがいい。」
そう、当然だと言う様な答えをイルムに返して来た。
「本当だな。」
「・・・当然だ。本来ならデータは沢山取れる方がいいのだが、お前が絶対口を挟んで来ると思ったからな。上層部がそう言い出して来る前に、総てのデータをお前から取る様にしておいた。」
その父親の言葉に満足したイルムは小さく頷くと、辺りを見回し、研究室の奥にある簡易オペルームへと向かう。
「で、俺はどうすればいい?」
オペルームには既に医局の人間が数人待っており、いつでも処置を施せる様に待機している。
「・・・数カ所の皮膚を切開し、各部位の末端神経節と電極を繋げヒュッケバインとのリンクシステムの起動具合をモニターで確認する。後はお前の脳内と眼底に埋め込んであるマイクロチップからのデータを随時取る為に、頭部へ電極を接続する・・・小一時間もあれば出来る簡単な処置だ。」
極秘と表紙に書かれたファイルを眺めながら、イルムの父親は何の感情も動かされた様子ではない態度で言い放つ。その冷淡とも言える姿は、普通ならとても父親が息子に対して見せるものではなかった。
「判った。じゃ、ちゃっちゃとやっちまってくれ。時間がないからな。」
一方イルムの方も、まるでそれが当然の様な反応を示しながら、オペルームへ行きすがらパイロットスーツを脱ぎ、他の研究所所員にスーツを放り投げる。そしてそれを慣れた手付きで回収する所員。

そこではそれら総てが、日常的に当然の様に行われて来たかの如く、自然な行動だった。

「・・・博士、イルムが何処へ行ったか知らないか?先程、緊急回線で呼び出された様なのだが、我々に何も言わず行ってしまった為にミーティングが中断したままになってしまったのだが・・・。」
ヒュッケバインの起動テストの為のオペレーションルームで今日のスケジュールの確認を取っていたイングラムは、部屋を出ていったまま戻ってこないイルムに対して不審感を覚えたのか、起動テスト時に行って貰うチェック項目の追加ファイルを届けに来たロバート・H・オオミヤ博士を呼び止め、そう問い合わせる。
同時に、ちょうどロバートからはイングラムの影に入っている為に姿を見る事は出来ないが、同じようにリン・マオが不審気な表情を向けているのが感じ取れた。
「うん・・・聞いてない・・・な。わたしはこれを少佐に届けに来ただけだから・・・。」
ロバートには、その視線が痛い。
上層部からの命令は自分の所にも伝わっていた。
それが、どの様な命令で、何を意図したものか。
こうしている間にも、イルムの身体には残酷な処置が施されているのだ。
起動テストを円滑に行う為に、麻酔などを一切使用しない処置は、どれだけイルムの身体と心に負担が掛かるか計り知れるものではない。
子供の頃からの幼馴染みだったイルムだったが、その頃からずっとロバートの記憶に残っている姿は、いつも痛々しいほどに巻かれた白い包帯姿だった。太陽の陽射しを浴び、陽に焼けた肌で明るく伸び伸びと育った自分と比べ、イルムは痩せて青白かった。それを際立たせていたのが、色素の抜け落ちた真っ白の髪の毛と、兎の様に真っ赤な瞳で、初めてイルムに会った時は子供ながら非常に怖かった記憶がある。
それから20年。当時の見るからに脆弱な面影は一切なくなってしまったが、イルムの身体にはあの時よりも更に多くの疵痕が残り、そしてそれは心にも変化を与えてしまっていた。
イルムの父親は、どうしてそこまで自分の息子に対して惨い仕打ちをする事が出来るのか。そしてイルム自身、何故その行為を何の疑問も抱かず享受し続ける事が出来るのか。ロバートには不思議でならなかった。
そして子供の頃、そんなイルムを助けたい・・・ロバートはそう思い続けていたのに、いつの間にこんな事になってしまったのか。
気が付けば自分はイルムの父親の下で働き、子供の頃の思いとはまるっきり反対の行為・・・そう。イルムを傷付ける側に廻っていたのだ。

いったい何処で、そしていつから歯車は狂い出したのか。

しかしロバートとイルムを取り巻く関係が変わっても、イルムの態度は決して表面上からは変化を感じさせず、子供の頃からと変わらぬ態度のままだった。だからこそ、ロバートの心は更に痛みが増す。
「・・・博士?どうされました?顔色が悪い様ですが・・・。」
ファイルを渡す為に来た・・・と言ったはずのロバートが、一向にファイルを渡してくれる気配がなく、更には彼には珍しく言葉を言い淀む様子にイングラムは何となくだがイルムに何かが起きている事を感じ取った。
だが、それが果たしていったい何なのかは判らない為、このお人好しで気のいい博士から何が起きているのか聞き出そうと思い、探りを入れて見る事にしたのだ。
「・・・いや、少し気分が優れなかっただけだから・・・気にしなくていいから。」
だがその表情から見ても、気分が優れないと言う理由だけで片付けられる些細なものではないだろう・・・と、イングラムが更に追求をしようと思ったその時、オペレーションルームのドアが開いた。



「よっ・・・悪かったな、ミーティング中断させちまって。」
ふたりの、イングラムとロバートの間に険悪なムードが漂い出し、その間でリンがどうしたものかと考え倦ね出した頃、当事者であるイルム自身が軽いノリでひょっこりと戻って来たのだ。
在る意味、絶妙なタイミングだったかもしれない。
ロバートにとって、イングラムにこれ以上追求されたくはなかったし、リンはミッションの前だと言うのに険悪なムードのままでは支障を来してしまうかもしれないと考えていた程だったからだ。
「・・・?」
だがその時リンは、ふとイルムの顔色が良くない事に気が付いた。緊急の呼び出しがある前まではそんなではなかったはずだ。
「・・・どうした?何かあったのか・・・顔色が悪いぞ。」
リンがイルムに顔色の事を問い掛けようと口を開きかけたその時、それを遮るかの様にイングラムの方が先にイルムへと問い掛けたのだ。
「・・・えっ?あ・・・ああ、どってこたあない。ちょっと気分が悪かっただけだ。ミッションに支障は来さねえよ。」
そう軽口を叩く様に話す姿は、普段と変わりがない。
「ならいいが・・・な。所でリン・マオ中尉。悪いが至急、ここに書かれているマニュアルのコピーを資料室から持って来てはくれないか。今、ファイルを読んでいて、少しばかり足りない事が判明したのでね。」
イルムに向かって話していたと思ったら、イングラムは唐突にくるりと向きを変えてファイルの手の甲でぽんっと叩き、リンにそう言う。
「・・・はい。了解いたしました。」
リンはファイルを受け取ると、一瞬だけ『今更何故・・・。』と言う思いに捕らわれたが、上官の命令には従わなくてはならないので、速やかに立ち上がると小さく敬礼し部屋を去ってゆく。そして残された3人は・・・否、ロブに向けて、イルムを挟み無言のプレッシャーを掛けるイングラムの姿があった。
「・・・ロバート・H・オオミヤ博士、あなたは私が何も知らないと思っているかもしれないが、それは間違いだ。私の手元には・・・今回のミッションにあたっての資料がある・・・。それがどういう意味か・・・判るな、イルム。」
一方イルムは、てっきりイングラムはロブと話しているとばかり思っていたのにも関わらず突然自分に振られ、思わずきょろきょろとふたりの顔を見比べてしまった。自分を中心に、ふたりの間で何の会話が為されているのか、イルムが気になるのは当然だろう。
しかしその言葉に反応したのはイルムだけではない。まるでイングラムの言葉に断罪されたかの様に、ロブの表情は激しく強張り握りしめていた拳をわなわなと震わせながらイングラムを睨み付けたのだ。
それは普段のロブからするととても考えられない様な表情だったが、その顔を幸いにもイルムは見る事はなかった。
「何がいいたいんだ?言いたい事があるならはっきりと言えばいいじゃないかっ!・・・親友を、子供の頃からの親友を、よくもここまで利用出来るものだってねっ!」
そのロブの言葉に、ぴくりとイルムが反応する。
そしてゆっくりと驚愕に満ちた表情でイングラムへと視線を移した。
「・・・知ってた・・・の・・・か?」
イングラムの言葉にイルムは思わず蹌踉めき、その場にあったテーブルで身体を支える。
「知っていた訳ではない。資料として与えられた書類に少々不自然な所があり、そこを少しばかり調べさせて貰っただけだ。それがたまたまイルム・・・きさまの出生に関してのデータだったと言う訳だ。」
手に持ったファイルをちらりと横目で見たのち、イングラムはいつもの冷静な口調で言い放つ。しかし、そんな心無いイングラムの態度にロブは思わず激昂し、
「それ以上言うなっ!今までイルムがどんな思いで・・・っ!」
と言葉を続けようとした。が、その言葉を続けることは出来ない。反対にイングラムの方が口元に薄い笑みを浮かべ、
「語るに落ちたなオオミヤ博士。貴様はイルムの父親の片棒を担いでいる癖に、イルムの事を心配しているようだが・・・それは偽善に過ぎない。幼馴染み・・・と言う関係を振り翳し、イルムの事を大切にしている様だが、それは自分の行為を正当化する詭弁だと思うのだが・・・。」
と、ふたりの関係を断罪するかの様に言葉を続けた。
「・・・だが勘違いされては困る。別に、私は任務に支障を来さないのなら何をしようと構わない。それは貴様達の勝手だからな。しかし飽くまでもイルムは私の部下だ。部下にとって不利益をもたらす様な行為は、避けて頂きたい。」
そしてイングラムが続けた言葉は、ふたりの心中を剔るものだった。
「し・・・支障を来すようならしていないっ!それに、おれたちがどういう風に育ち、どういう風な関係かも知らない癖に・・・っ!」
ロブは行き場のない拳を震わせつつ青冷めた顔色で、非情な言葉を吐き続けるイングラムに詰め寄る。
「・・・ああ、私は貴様達の関係がどのようなものか知らないし、知る必要もないと思っている。それは公私混同と言うものだからな・・・。」
まるでロブの激昂を煽るかのイングラムの言葉に、そこまでふたりの遣り取りをぼんやりと聞いていたイルムだったが、流石に雲行きが怪しくなった事に気が付き、
「・・・もう、止めてくれ。これ以上俺の事で不毛な会話をして欲しくない。まだ俺達にはやらなくちゃならない仕事があるんだ。こんな事でチームワークを乱したりするのは本意じゃねえだろ?」
と、ふたりの間に割って入った。
「それに・・・こんな厄介な身体でも結構気に入ってたりするんだ。な、イングラム。あんただって自分の好みで自分の身体を選べる訳じゃないだろ。この身体に生まれて来たからにゃ、一生付き合ってかなくちゃならない。ならこの重い蛋白質の塊と如何に上手く付き合って行くか・・・。俺はそう思って生きて来たし、これからもそう思い続けてくつもりなんだけどね。」
そう言いながらイルムは笑みを浮かべつつイングラムの顔を見つめ、そしてロブの方を見る。だがその目は、イングラムを見た時の笑みを浮かべたものではなく、昏い色をした無表情に近いものだった。
「ロブ、俺はな・・・お前のことが好きだ。それは子供の頃から差別する事無く接してくれたし、差別するヤツから護ってくれたから・・・そして今も変わらずにいてくれるからだ。が、それだけだ。それだけなんだよ。お前は気が付いていないかも知れないけど、その行為じたいが、俺と・・・自分の存在する位置が違うって事を示してんだよ。」
それはイルムがずっと心の中に抱き続けていた思いだったのだろう。
ふつふつと沸き上がって来る思いを、彼はずっと押さえ続け、そんな思いなどまるで抱いていないかの様な素振りをし続けてきていた。
軽薄な男と言う仮面を被り演じていたのだ。多分、今回の事がなければ、ロブの前でもずっと演じ続けていただろう。
「いい機会だったかもな。俺はな、イングラム。あんたには真実を知っていて貰いたかったのかも知れない。」
イルムはそう言いながら、ゆっくりと手袋を外し、そしてパイロットスーツのジャケットを脱ぐ。
「リンちゃんにゃ、こんな姿見せらんないんだけどさ・・・今の俺はリンクシステムがちゃんと起動するかどうか確認する為に、体中に電極が埋め込まれててね、結構辛いんだ。痛みには強くなったとは言え、ね。」
こうやって視界に入る場所だけでも手の甲や、首筋、頸椎部に口径5?、長さ1?程度の幾つもの筒状のプループが皮膚から顔を出している。
「・・・それが電極用のスロットか。ふっ・・・結構、非人道的な行為をしているものだな。多分何かの処置を施されているだろうとは思ってはいたが・・・ここまでとは・・・な。」
そう言った本人イングラム自身、他のラボで同じ様に人道的とは言えない実験をしていたのだが、その事実を知っているのはイルムに関する事項よりもはるかに極限られた人物しか知らない。
「・・・仕事と割り切っちまえばどうと言う事でもないんだ。けど・・・けどな・・・。」
イルムはそう言うと唐突に、持っていたジャケットを床に叩き付け、俯いたまま肩を震わせ、そして声も出さず嗚咽を始める。

痛い。苦しい。辛い。哀しい。

吐き出せない思い。
言葉に出来ない思い。
胸の内に秘められた思い。

存在理由。存在意義。存在価値。


誰も、彼へ『死』という慈悲すら与えてくれない。
そして彼の本当の意味での切なる思いは、決して叶えられる事はない。
何故なら、彼の中で幾度となく首を擡げてくる思考は、その度に力によって押さえ付けられてゆくのだから。
「判っている・・・私がきっと貴様を救ってやる。だから・・・それまで忠実に従っていればいい。そう・・・誰も貴様を救えやしない。この私以外は・・・な。」
そんなイルムの思いに気が付いたのか、薄い口唇を弓形に歪ませた笑みを浮かべたイングラムは、そうイルムに向かって囁く様に言葉を紡ぐ。
勿論、イングラム自身、イルムの思いを慮っている訳ではない。
更にイルム自身も、イングラムが決して自分の事を考えてそれを言葉にしているのではない事ぐらい、充分承知していた。
ただふたりの間には、ロバートが考えている様な、抱いている様な関係などではなく、互いの利害関係と少しばかりの『企み』と言った共通点があった為に行動を共にしているだけなのだ。
「・・・さあ、オオミヤ博士。あなたにはあなたの仕事が残っているだろう?起動テストまで、もう時間は余りない。後は私に任せて先に行って貰おうか。リン中尉が到着し次第、私達もそちらに行く。」
色々な思いに捕らわれ思考していた所へ、唐突にイングラムからそう言われたロバートは、思わずイルムの方を見てしまう。
だがイルムの姿は、イングラムが故意に移動した為、まるで匿われる様なかたちになっていたのだ。
そしてそのイングラムの行為を何の疑いもなく受け入れているかの様なイルムは、ロバートを拒絶している様にも見える。
「・・・済まねえロブ。俺は・・・自分が考えてたよりもずっと弱い人間だったんだ・・・だから・・・少し待ってくれ。今は少し無理だが、起動テストを行う頃には元の・・・陽気でお調子者のイルムに戻ってるから・・・。」
掠れ気味のイルムのその声に、ロバートは思わず、
「・・・もしや、泣いて・・・いるのか?イルム。」
と、問うてしまう。
だがイルムは左手で軽く前髪を梳き上げ、同時に前を向いて、
「んな訳あるかよ。俺が泣くなんて、有り得ねえ。」
そう言って、にやりと笑みを浮かべた。
「・・・そうだな、もし万が一俺が泣く様な事があったとしたら・・・それはリンちゃんにフられちまった時かもしれないな。」
その表情はいつものものに戻り、そして矢張りイルムは、ロバートの前では本心を見せ様とはせず、話をはぐらかすかの様に話題を変えたのだった。


今までロバートは、イルムと自分の間には『幼馴染み』と言う関係だけではなく、友人としても非常に良い関係を結べていたと思っていた。それは決して思い込みではなく、互いにそう思っていたのだと信じていた。
だがどうだ。こうしてふたりの間にイングラムと言う人物が割って入って途端、ふたりの間にあった均衡がこうも簡単に崩れてしまったのだ。
「・・・もう、この話題はやめにしよう。ずるずる続けていても俺が惨めになるだけだし・・・それにじきリンちゃんも戻って来る。」
手に持っていたジャケットを再び着込みながら、イルムはロバートに対してそう告げる。それはロバートにとって、イルムにやんわりと拒絶された事を意味していた。
「・・・。」
ロバートは、そんなイルムに対し一瞬だけ何か言いた気に口を開きかけたが小さく首を振る。しかし言葉を発する事なく飲み込んだのか、ふたりに対して後ろ髪を引かれる思いで部屋を出て行く事にした。
イルムの言葉を借りれば、これ以上会話をしていれば自分が惨めになるだけなのだ。自分とイルムの狭間の隔たりに。
父親よりも、リン・マオよりも、自分が一番イルムに近い存在なのだと信じ込んでいた自分に対して。


シュンッ・・・


無言のままロバートが部屋を出て行く。
その姿を、イルムはイングラムの背後からじっと見つめていた。
「・・・これで良かったのか?」
そんなイルムに向かって、振り返りもせずイングラムがそう問い掛ける。
「・・・ああ。でも良く察してくれたな。」
手袋を填め終えたイルムは、小さく溜息を吐きつつ呟く様にイングラムの問いに対しそう答えた。
「・・・そんなに都合良く人の心を察せる訳はない。ただ、貴様がオオミヤ博士を遠避けたそうだったから言葉にしただけだ。こちらにしても少々邪魔だったし・・・な。」
そう言いながらイルムの方へと振り返る。
濃く長い藍色の巻き毛がふわりと舞い、柔らかそうな前髪の間から見え隠れする意志の強そうな輝きを放つ切れ長の瞳が、イルムの心の中まで見透かしているかの様に細められた。
「・・・?」
その表情から、イングラムの真意をイルムは読む事が出来ない。
だが、何かを企んでいる事だけは読みとれた。
「・・・貴様は頭が佳い。だから言葉にせずともこちらが意図する事を汲む事が出来るだろうから敢えて言葉にはしない。幾らそれが人工的に生み出され与えられた能力だとしても、それを確実に利用出来ているのだから、それは己の能力なのだ。その能力を十二分に発揮出来る力が、貴様にはあるのだと覚えておくがいい。そしてそれを、私は必要としているのだと。」
その言葉尻から、イルムは確実にイングラムが何かを企んでいるだろう事を感じ取る。そして自分が必要とされている事も同時に察した。
それが喩え、自分を生み出した者達に対し造反する様な事だとしても、イルムはイングラムの企みに荷担する事が、己の存在理由を見出す手段なのではないか・・・と、思ったのだ。
そしてそれが、地獄行きへの片道切符だとしても。
「・・・付き合ってやるよ。あんたの企みに。俺はそれに応えられるだけの能力があるんだろう?・・・その能力を引き出せる力が、あんたにはあるんだろう?だがな・・・条件がある。」
イルムは口唇を歪め、シニカルな笑みを浮かべた。
「・・・何だ?」
笑みのかたちに歪んだ表情の向こうに、どの様な言葉を紡ごうとしているのか判らないイルムを見つめ、イングラムは静かに問う。
「・・・簡単な事さ。今後一切、リンちゃんを巻き込まない。それが俺のあんたに提示する、たったひとつの条件さ。その要求を受け入れてくれないなら、俺はあんたの敵になる。」
他人からすれば、どうという事でもない条件だった。
報酬や、見返りを要求するのではなく、他人である筈のリン・マオの安全だけを求めたのだから。
「・・・了解した。」
「商談成立。じゃ・・・宜しく頼むわ。」



そしてイルムはイングラムの手を取る。
それが、数日後に起きる事件の切っ掛けになる事など想像だにせずに。



「約束通り・・・リン・マオを第一線から退けさせたぞ・・・イルム。」

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